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安芸乃島
2003年 07月 18日
ただ強かったのではない。その当時の大相撲的時代背景の中においてその強さを発揮したところに、彼に対する最大の魅力を感じていた。 新入幕は昭和63年三月場所。九重部屋=千代の富士全盛の時代である。前後5年間(昭和61年~平成2年)は、全30場所中なんと24回が九重部屋の優勝である。そして同時にその時代は、確証はないけれども、いわゆる「注射」全盛期とも言われていた。そんな中、新興である藤島部屋の一(いち)若手力士が、ガチンコで注射力士(と言われていた)に敢然と立ち向かい、そして打ち負かしていたのである。上位に勝った後に 下位にポロっと負けてしまうその姿は、勧善懲悪を体現するヒーローでありながら普段は“昼行灯”を演じる中村主水ともダブり、妙な魅力があった。 相撲は興行ビジネスである。従って日本相撲協会はお客さんを呼ばなくてはいけない。「注射」の有無や可否はともかく、千代の富士が君臨していた理由の一つがそこにある。しかし その点から考えても安芸乃島の功績は実はとてつもなく大きい。 彼が幕内入りを果たしたその同じ場所で初土俵を踏んだ力士がいる。部屋の後輩貴花田=後の大横綱貴乃花である。貴花田は平成2年五月場所が新入幕。翌年七月場所で新三役(小結)。平成4年の初場所で初優勝。そしてその活躍に呼応されるように世は平成の相撲ブームへと流れて行く。 あれだけの派閥があって既得権益があるような業界で、何故貴花田のような若年のガチンコ力士が突き進めたのか?その陰には、貴花田本人が意識しているかどうかに関わらず、やはり先輩安芸乃島の存在が大きくあった事が想像できる。 ラッシュ時において、もし一人でも全体の流れに逆らって進む人間がいれば、その後に続く事は比較的容易い。部屋での生活態度・稽古への取り組み(あの耳!)・本場所での戦い方、すべて後輩にとっては“進むべき道” であったに違いない。 言い換えると安芸乃島は貴花田が成長して活躍するまでの“ベース作り”をしていたのだ。つまりは“相撲ブームのベース作り”を。きっと本人も自覚していたはずだ。だからこそ貴乃花の引退が決まった時に僕は「ああ、これで安芸乃島も引退だな」と思ったんである。自分が育てた“時代”を「見届けた」という気持ちになった と想像したのである。結果的に一場所伸びたけど、やはり気力も限界だったのだろう。 引退発表の記者会見で、思い出の一番に「大乃国からの初金星」を挙げたあたりがやはり安芸乃島らしい。このことだけで、彼の生き方が見えて来る気がする。 もう こんな力士には 二度とお目に掛かれないかもしれないなあ。
by janometei
| 2003-07-18 23:44
| 猥鈍駄馬考
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