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(無題)
2006年 01月 18日
こんなことを 人さまの目に付くようなところ、ましてやブログなんかに書いてしまってイイものだろうか という気も激しくするのですが、でも書いてしまいます。
まだ生きてたの? 早く殺せよ。 これ、新聞で宮崎勤のニュースを見た瞬間に思ってしまったことです。 人が人を裁くということ。その結果として、死刑という刑罰をもって 人が人の命を合法的に奪ってしまうということ。これはとっても難しく奥の深い問題で、そのことに対する僕なりの考えや疑問が無い訳ではありません。 だけどそんなことを通り越して、感情的に思ってしまいました。 「まだ死刑になってないのかよ?」 「何やってんだよ」 「精神鑑定なんて どーでもいーから、早く殺せって」 「税金でそいつにメシ食わせてるんだろ? 無駄だからやめてくれ」 なんてふうに。 大阪・池田小学校の事件の時も、「どーでもいーから、早く死刑にしろ」と思いました。 この感覚っていうのは どうなんでしょ? 自分では “ふつうの感覚”、“ふつうの感情” だと思っているんですけど、「もしかして 俺ってヒドイ人間なのかなあ」なんて考えることも チョットだけあります。 「何事も 感情だけで判断したり行動したりするのは良くない。自分自身のことならば その責任は自分に帰って来るので それもイイけど、他人と関わることならば それは良くない」 というのは ある意味常識なのでしょうが、それを越えて 「死んでしまえ」 も、やっぱり当然で それもある意味 “常識” なんじゃないかとも思います。 (何だ、自己弁護かよ)
by janometei
| 2006-01-18 19:35
| 蛇乃目亭notes
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