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こんなことがあるとは
2011年 04月 27日
とてつもない大地震が起き、信じられない大津波が街を、人を、飲み込んだ。大津波が去った痕は瓦礫の山また山。あらゆる生命の亡き骸も きっと、山。
すべてを流され失ったわけではないにしても、家屋が大きな被害を受け、深刻な事態になっていることも数多く、公的な援助が必要だ。例えばその家屋の損壊を「全壊」「半壊」に区分し、それに対して自治体が給付金を出すことを決める。「全壊」が200万円、「半壊」が100万円とかいうふうに基準が提示され、住民は自分の家が「全壊」か「半壊」かを申し出て、給付金を申請する。 基準設定はまずは大雑把に決められるだろう。細かいことを言っていたら何も決まらず前に進まず、被災者だって困るから。 一方、申請する人は、それはもう必死だと思う。「全壊」だろうが「半壊」だろうが大変なのは変わりはないし、貰えるものならば少しでも多く貰いたいというのが人情だ。状況が状況だし。僕だってそうする。 更に、個別に考えれば考えるほど 細かいことも出てくるはず。 困っている度合いだって、資産家の両親が他の地域に住んでいて援助を受けられる「全壊」の人よりも、どこにも誰にも援助を頼る相手がおらず、仕事も失っている「半壊」の人の方が高いだろう。 真面目にコツコツ働いて税金や社会保険なんかもキチンと納めていた人は、普段から何かと滞納していて その割には高い車を買ったり 旅行して遊んで歩いたりしていた人が、同じような給付額を受けることに対して面白くない感情を持ったりもするかもしれない。 そんなこんなの感情を含めつつ、住民は自治体に申請をする。もう少し正確に言うと、「担当の人」に状況説明をしながら申請書を出す。対応する「担当の人」は普段の仕事を抱えつつ、新しい仕事をも受け持つことになる。 この時の「担当の人」は何を感じ、何を考え、どういう気持ちで受け応えをしているのだろうか?まあ大変なんだろうなー と思うだけで、深く想像したことも無かった。 なるべく丁寧に、ひとりひとり真剣に、真心を込めて、言葉を選びながら 時には励ましたりしながら、決して“お役所仕事”などと言われぬよう、頭を低く、目をそらさず、真正面に向かい合って、対応しているのだろう。今の時代においてはそれが我々の望むスタンダードな態度で、もちろん人にもよるのだろうけれど、「担当の人」たちは一所懸命にそのように努めているのだと思う。 もっと、いー加減な姿勢でやれば良かったのに。 表面上はともかく、内心では ある程度割り切ってやれば良かったのに。 東北の とある町の役所で、そういう「担当の人」をやっていた奴が、先週、自ら命を絶った。書き残したものも無く、病気がちな同居の母親を残して。 僕の学生時代の友人。よく麻雀をやった。よく一緒にメシも食った。勉強は一緒にした覚えはあんまりナイけど、とにかくそいつの部屋にはよく行った。そういえばお金もよく借りたっけ。 古いアパートの一室のそいつの部屋は、基本的に鍵が掛かっておらず、24時間出入り自由で、主がいなくても誰か彼かがいて、麻雀をしたり 出たばかりのファミコンをしたり ほか弁食べたり ぐーぐー寝ていたりしていた。 みんなに愛されていたっけ。見た目もそうなんだけど、内面もホントに温和で、僕が他の仲間と軽く揉めたりしていると、ニコニコした顔でそばまで来て「兄さん兄さん、ま、そう熱くなんないで(^^)」とか言って来るような。 高校時代は団体競技をやっていたこともあってか、一見頼りなくヘニャヘニャしているように見えて、その実とっても礼儀正しくピシッとしていて誠実なスポーツマンだった。 全力で受け止めたんだろうなあ。被災者の言い分を。その感情を。 10人から話を聞けば10人分の苦しみを背負い、100人から話を聞けば100人分の苦しみを背負う。最初は「半壊」だと納得していた人も、状況が変わるうちに「やっぱり全壊だ!」と言い出したり、「あの家は200万なのに、何で俺んちは100万なんだ!」と食って掛かられたり ということも日常茶飯事。それでも伝え聞く話では、ややこしい案件は絶対に他のスタッフには振らずに全部自分で抱えていたみたいだ。 あいつらしいなあ。 朝も早く出て、夜も帰りが遅く、休日も無く。そこだけ聞けば世間では当たり前の話なんだけど、中身は想像を絶するはず。「大変だ」とか「つらい」とかいう弱音は まず言わなかったみたいだ・・・その数日前までは。 確かに弱かったのかもしれない。あまりにも真面目で、あまりにも純粋すぎて。でもそれを弱いといって責めることはできない。そこがあいつの魅力でもあるし。 自分がいなくなれば、残された母親がどうなるのかということくらい 分からない人間ではない。恐らくは発作的にやっちゃったのだろう。本人すら自覚のないまま、だったのかもしれない。 役所の窓口で必要上に我を通そうとする被災者がいたかもしれず、「担当の人」がそれを気に病んでいたとしても、その被災者を責めることも僕にはできない。傍目で美しいかどうかは別として、生きるために主張することは主張すべきだから。 結局は誰も悪くないのだ。誰も悪くないのに津波にのまれて亡くなった人たちがいて、誰も悪くないのに震災の“後遺症”で 大好きな奴がこの世からいなくなった。 それが世の中なんだ。それが生きて行くということなんだ。と悟ったフリをしてみようにも、まだあまりにもショックが大きくて・・・。 時間の流れに助けてもらいながら、しばらくは「生かされている自分が、とにかく頑張るんだ」と言い聞かせて、ここを乗り切って行かなくては。 ※今回のことは書いて良いのかどうか迷ったのですが、自分の気持ちの整理のためだけに書きました。なので、トラックバックはいつもですけれど、この記事はコメントもナシにしました。
by janometei
| 2011-04-27 22:40
| 蛇乃目亭notes
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